平成昔話

いっちゃんは中学校の先輩で時代錯誤なヤンキーだった。
ミニスカ腰パンが制服の着こなしの定番だった時代に、校内でただ一人短ランボンタンスタイルのいっちゃんが浮きまくっていたのは言うまでもない。

そんなファンシーな出で立ちで果たしてクラスに溶け込めていたのか、同級に友人がいたのかは不明であるが、ひょんなことからわたしはいっちゃんと顔見知りになり、校内で、あるいは下校途中に、姿を見かければ立ち話をする仲になった。

ついこの間までランドセルを背負っていたお子さまらしく話す内容はくだらないことばかり。
どうでもいいことでこれでもかとゲラゲラ笑うのだ。
そうやっていつだってとるに足らない中身のない話ばかりしていたので、結局のところいっちゃんが何者なのかはわからずじまいだったし、あちらに限ってはわたしの名前すら知らなかったかもしれない。
実にライトな関係である。

いっちゃんは見た目こそヤンキーで破天荒そのものだったけれど学校で問題を起こしたという話は聞いたことがなく、恐らくそれは外でも同じと思われ、毎日規則正しく学校に通い滞りなく卒業していった。

平成になって間もない、スマホどころか携帯電話すら普及していなかった時代のことである。
道が別れればそこで仕舞い。
その後いっちゃんに会うことは一度もなく、進学したのか就職したのか、それすら知らないままである。

それから時が流れに流れた。
平成がおわって、令和になった。
実家に帰省すべく電車を乗り継いで地元を走る路線バスに乗車する。
ここ数年で駅前の再開発が進み高層マンションが乱立したためか、車内はずいぶんと混雑している。
人が増えたのだ。
この時間なら昔は空いていたのにと思いながらつり革を握り直す。

「この先揺れますのでぇ、ご注意くださぁい」

鼓膜を揺する運転手の間延びした独特な声。
その声がふと記憶を甦らせる。
数年前の同窓会で誰かが言っていたっけ。
ヤンキーのいっちゃん、バスの運転手してるらしいよ!
混雑した車内、運転席付近に目をやれば人の頭の隙間からチラチラとネームプレートが見え隠れする。もう少し、もう少し、ひょっとして、ひょっとして、見えた。
いっちゃん、いっ、い、い?

実にライトな関係である。
いっちゃんのことばかり言っていられない、わたしだっていっちゃんの正しい名前を知らないではないか!
忘れたのではない、最初から知らなかった。

懐かしいような気がするよと耳が教えてくれる声。
その声の持ち主である路線バスの運転手はいっちゃんなのかもしれないし、違うのかもしれない。

実家近くの停留所にバスが止まる。
「足元に気を付けてお降りくださぁい」
下車する際にちらりと盗み見た運転手のその横顔は、大きなマスクですっぽりと隠されていた。

メロウ

先日、もう二十年ほど会っていない、そしてこの先も二度と会うことはないであろう昔の知り合いをSNS上で偶然見かけた。

接点があったのは彼がまだ中学生だった頃。
意思が強く無口で、古くさい表現をするならば「硬派」だった彼は、二十年経った今、SNSのホーム画面に自身の結婚式の写真を載せていた。

もうそれなりに永いこと生きているので、今は疎遠になった昔の知人というのはたくさんいる。
また、そもそもすれ違う程度の接触だった人もそれこそ掃いて捨てる程にいる。

それらの人たちともうこの世で会うことは二度とないだろう、と当たり前に思う。
本気で会おうと思えば会える人もいるだろうが、そんなことはしない。
だってそういうものだから。

満面の笑顔で新婦と並ぶ彼を見て、それ以上は踏み込まずにそっと画面を閉じた。
もう、見ることはない。

人はみんな誰かの生活を通りすぎるし、誰かが自分の生活を通りすぎていく。
その先は互いに知る由もないけれど、そこにあるのが色でいえば淡い橙色のような、そんな暮らしであったならいい。

日常のなかのトラウマ的妄想

ご先祖さまが虫の姿で帰ってくるよ。

諸説あるお盆に殺生してはいけない理由について、わたしは子供の頃にこう教えられた。
親戚の集まるお盆休みの食卓には肉も魚も並んでおり、虫だけが特別扱い。
…虫以外の殺生について無頓着だったのは地域性だろうか。

昨晩のことである。
脱衣場の隅っこに小さな蜘蛛がいた。
じっと動かないから息を吹き掛けてみたところピョンと跳ねる。

どうしたものか。
家に住む小型の蜘蛛は益虫ときいたことがあるから放っておいてもよい気がする。
けれどこの蜘蛛の存在に気づいたのは幼い娘で、まだまだ理性が十分に備わっていない娘が何をしでかすかわからない。
現に狙っている、この蜘蛛を。

そう思ったわたしはティッシュペーパーを二枚手にとって蜘蛛に近づく。
ふと、お盆の禁忌、が頭を掠めた。

虫の姿をした虫ではない者。

カフカの変身じゃあるまいしと一笑に付すのは簡単だけれど、子供の頃に刷り込まれたそれは畏怖の念を伴って心に沈殿している。

ぺしゃんと潰すことは許されない。
そーっと、そーっと。
悪戦苦闘しながらも蜘蛛をティッシュペーパーにのせることに成功、屋外に放った。

あれが本当にただの蜘蛛なら、外敵がいようとも力強く外の世界を生き抜くことだろう。
もしも別の何者かならば、人生初のサバイバルに苦戦するかもしれない。

と、ここまで書いて蜘蛛は昆虫ではないなと気づくけれど広義では虫だよねと自分を甘やかして、最後にあの蜘蛛の健闘を祈ろう。

幸多からんことを!

拝啓 ○○○

むかし、とても好きで数年に渡って追いかけていたブログが閉鎖したことがある。

彼女はそれまでのエントリを全て消去しブログの閉鎖を告げると、
「皆さま、死ぬまで楽しい人生を」
という言葉を残して去っていった。

とても賢く、その賢さ故に社会を要領よく生き抜くことの難しさと違和感を全身に受け止めているような人で、その最後にはいくらかのなげやりな皮肉が含まれていたように思う。

読者として、そのブログで綴られる文章を目にする機会を失ってしまったことがショックだったのはもちろん、更新される度に「それでも彼女は元気でいるのだ」と確認をしていたわたしにとっては、そのチャンスをなくしたことが何よりも悲しかった。

ひょっとしたらどこかでブログを再開しているかもしれない。
何らかの形で思いを発信しているかもしれない。
けれど、これだけ様々な文章が多様なツールによって溢れる現代において、再び彼女に出会うことは難しいだろう。

だからせめて、この世のどこかで彼女が彼女の生きたいように生きる方法を手に入れていますようにとひそやかに祈りながら、私は私に与えられた今ある出会いを大切にしたいと思う。

結論、美味しく食べられる人に食べてもらう

蛤が苦手だ。食べ物として。

身を丸ごと食べるということにとてつもない抵抗がある。

蛤の身体を形成するありとあらゆる器官を、そして内臓に含まれているであろう何らかを、丸ごと全て食べるのだ思うとどうしても口に入れることができない。
いったいこれは何なのだろうと思うと得たいの知れない恐怖を感じる。
同じ理由でアサリやしじみも食べられない。

昔苦手だった食べ物が大人になって食べられるようになる、という話をよく聞くけれど、わたしの場合逆が多い。
味や食感の問題ではなく、考えなければいい余計なことに振り回された結果として苦手になってしまうのだ。

そう、子供の頃は蛤だって食べていた。
むしろ好物で食卓に並べば嬉しかったはずなのに。

こういうところ、わたしは面倒くさいタイプの大人に育ってしまって残念だなぁって目の前の頂き物の貝を眺めながらしみじみ思う。