ブラウン管症候群

リンゴは赤いし空は青い。

でももし、私が別の誰かに入れ替わって世界を眺めることができたなら、リンゴが青くて、空が赤かったりしないだろうか。

いや、青リンゴってことじゃなくて、夕焼けってことじゃなくて。

リンゴやポストは青くて、空や海は赤くて、春の野原は一面桃色、ってことはキュウリやキャベツも桃色で、桃はというと灰色で、とか。

ある人にとっての赤が別のある人にとっては青だったとしても、確かめる術などないのではないか。
人は、自分のみている赤を唯一の赤だと信じて赤と名付け、青を青だと信じて青と名付け、赤と呼び青と呼んでいるだけではないのか。

ということを、あれこれどうでもいいことに考え巡らせる質であった子供時代のある日のわたしはふと思いつき、級友にも賛同を求めたいのだけれど、いかんせん子供、この考えを相手に伝える私の能力不足に加え受け手側の興味も驚くほど希薄で、なんとなく、あー、へー、ふーん、な反応で、疑念の共有という私の願いはみごとに打ち砕かれた。
数回チャレンジしたけど。

視覚のことも脳みそのことも光のことも知らないけれど、絶対ないとは言えないんじゃないの?とすっかり大人になった今でも思う。
絶対ないんだよバーカ、医学的にも物理的にも、って知識ある人が言うなら、せめて明度とか彩度の違いくらいはあるかもよって思いっきり譲歩して、子供のころの私の情熱に報いたい。