絶叫劇場

拷問です、拷問。

誰も見てないのをいいことに、人は色んなことをする。
人に見られてはまずいこともする。

お天道様はちゃんと見てるんだよ!なんて言う人があるが、お天道様は生き物ではないので、多分見てない。
仮に見ていたとしてもお天道様くらいならいいかなって思う。

人は死んだらそれっきり、とはとてもホッとすることで、もしそうでなかったらと考えると恐怖で身震いする。

最期を向かえ、向かえたはずなのにパッと目を開く。
いつのまにか椅子に座っている。
目の前には大きくて真っ白なスクリーン。
なんだこれ?と思いながら後ろを振り向くと、たくさんの人人人、神妙な顔顔顔。
「さあ、お待たせしました!上映スタートです!」と突然声がして、驚いて前に向き直ると、スクリーン前のはしっこに蝶ネクタイをつけたいかにもな司会者がいる。
「これから○○さんの人生をプレイバック!」と言って、ウインクしながらわたしを指差す。
え、人に指差さないで、と戸惑っていると、照明がおちて同時にスクリーンにパッと色がつく。
そこに映し出されるのは、誰にも見られていなかったはずの部分だけが選りすぐられつなぎ合わされたわたしの人生。
見られていないことが前提だからあり得た、絶対に見られちゃいけない人生。
ぎゃーーーーー!!!ってなる。
嫌だ見ないで!もう無理死にたい!と思ってももう既に死んでいるという一段上行く絶望感。

人は自分の人生に責任を持たねばならないとはよく聞く。
こうやって大衆の前に晒して振りかえり、罪悪感と羞恥心に悶えながら、散らかし、隠した人生を回収するのが責任の取り方だとしたら。

怖い怖い、お天道様より怖い。
そうか!お天道様はカメラなのか!
でも室内カメラはどこに…?

という妄想のもと、いつだれに見られても耐えられる人生をおくりたいなって思う。