よくあるはなし

一緒に祈りましょう。
そうすればすべての願いは叶い、世界は平和になります。

という口説き文句でもって、某宗教に入会するよう誘われたことがある。

転職したばかりでまだ右往左往していたわたしに、会社のことを教えてあげるから仕事終わりにお茶しましょう、と誘ったその人は、会社近くのカフェに入り席に着くなり分厚い冊子を机の上にのせてそう宣った。

は?と面食らうわたし。

その人は、冊子をめくりながらその宗教がいかに素晴らしいかを熱っぽく説き、例えばわたしの場合は…と自分自身の経験を話し始めた。

その人はある職業に就くことを子供の頃から夢見ていたが、頑張っても頑張ってもなかなか叶わなかった。
ところがその宗教に出会い毎日祈っていたところ、ついにその職業に就くことができたのだという。
短い期間ではあったがその憧れの職業を経験できたのは祈っていたおかげであるから大変感謝している、ということだった。

「はぁ、それは良かったですね。でもわたしには必要ありません」

そういって断っても良かったのだと思う。
粘られはするだろうがあちらが諦めるまで根気強く拒むこともできただろう。
なんと言っても相手は同じ会社に勤めているのだ。
部署は違えど社内で顔を合わせることもある。
今後を考えれば穏便にことを終わらせるべきだろう。

けれども、そう頭では思っていながらも心は納得していない。
その人は、嘘をついたのだ。
本来の目的を隠して、こちらを気遣うふりをして誘い出すのは卑怯ではないか。
だから言わずにはいられなかった。

「でも今はその仕事してないですよね。毎日祈ってるのにどうして夢だった仕事を続けられないんですか?なんで今は全然関係ない仕事してるんですか?」

嫌な言い方をしたと思う。
その人はしばらく沈黙した後、何か一言二言発してからお手洗いに行くといって席を立った。

戻ってきたその人は、「あなたは実は…」と言ってわたしの人間性の欠陥をあれこれ指摘しだした。
突然の攻撃にまたも面食らいつつも、わたしもその人に言い返し、それに対してまた言い返されを繰り返して、半ば口喧嘩のようになってきて最後はお互いに「あなたとではお話になりませんわ!」って感じで解散。
全く穏便に終わらなかった。

その後、こんなことがあったの聞いて!とばかりに友人にプリプリと報告をした。
「あんな勧誘の仕方じゃ揉めるって思わないのかな?」
って言ったところ、
「まぁ、そこまで気にしてないってのもあるだろうけど、第一にそういうトラブルに発展しなそうな穏やかな人を選んで誘うからね、普通。その人も人を見る目がないねー」
って笑われて、わたしが穏やかな人間じゃないって間接的に言い切ったその友人のコメントの方がダメージが大きかったのを今でもよく覚えている。

色褪せた思い出

ガタンゴトン、ガタンゴトン、

19:10
電車に乗ってユラユラ揺られる。
車内の客はバラバラまばら。

「お金って、どうにかしてなくならないかなぁ」
「…お金?」
「この世からお金なくならないかなぁ」
「うん?」
「人間も動物なんだしさぁ、なんていうか、こう、食べたいなら食べればいいと思うんだよね。お金どうとかじゃなくて、そこにあるもの食べたいと思ったら手にとって食べれば良いと思う。そこに行きたいと思ったら行けばいいと思うし。誰の土地とか気にせず。所有地って言ってもさぁ、結局は地球なわけじゃん。だからさぁ、つまり、お金、要らないと思うんだけどなぁ」

ガタンゴトトン、ガタンゴトトン、

「そうねぇ。それは難しいねぇ。そもそも世界を牛耳って動かしてる人たちってもれなくお金持ちだからね。貨幣制度あった方が都合良い人たちだもん。お金なくなんないよ。」
「えー。そうかー。だめか。じゃあさ、」

社会人になってほんの数ヶ月、なれない仕事で疲れ果てショート気味なわたしの現実逃避思考に当たり前のように同レベルで付き合ってくれたM。
あなたと同期入社で、あなたと同チームで、わたしはとってもラッキーだったよ。

ガタタンゴトン、ガタタンゴトン。

19:15
ちょうど車内に眩しく西陽が差し込む季節。
わたしもMも、それは見事な橙色で。

虫問題以前の問題

わたしはジャングルに住んでいます。
わたしの家はジャングルです。

観葉植物が大好きだけれど育てる才能がないのかすぐに駄目にしてしまう。

「植物のある生活」みたいな本に書いてある育てやすさ評価みたいなのを全く無視して、わたしのお気に入りの植物ほど上手く育ってくれない。
若干妥協で置いているちょっとどうでもいいやつに限って順調にぐんぐん成長。
死んでしまった(ように見えた)お気に入りをベランダに出し、そのうち片付けなきゃと思いつつひと夏を越えた頃、ふとみたら元気によみがえっていたりする。
え、暑いのダメなはずなのに?(記録的な猛暑)
え、水分ダメなはずなのに?(連日のゲリラ豪雨)
え、そもそも死…。

愛情過多、が、いけないのかもしれない。
手を掛ければ掛けるほど相手もそれに応えてくれるとは限らず、それが負担となることがあるらしい。
強くなるためには多少過酷な環境におくことも必要なのかもしれない。

なるほどそうかー、完全に理解した。わかっちゃった。
そう思ったわたしは可愛い子にほど手をかけたい衝動を抑えて手を抜くことを覚えた。
見ない見ない、知らんぷり知らんぷり。

わたしはジャングルに住んでいます。
わたしの家はジャングルです。

というのはわたしの長年の夢でいつか大好きな植物たちにワサワサと囲まれて暮らしたいのだけれど、とても実現しそうにないなと泣きたくなるのは、手を抜きすぎた結果として水やりをあまりにもおろそかにして愛しの植物たちを回復不可能と思われるほどに枯らしてしまったから。
なんてこと!
待って待ってー!!
鉢を抱えて浴室に直行し、シャワーで水やりしてからゴミ袋を被せ応急処置をする。

もういい加減解放してあげるべきなのだろうか。
それともめげずに育て続けるのか、わたし。

あぁ、足を濡らすシャワーの水が、冷たいったら。

またひとつ、歳をとる

屋上駐車場、絶壁にて。

父が用事を済ませる為に車の運転席を離れ、助手席でおとなしく留守番する私。
エンジンは切られているが、キーは刺さったままだ。
うつむいてぼんやりしていると、ふと感じる違和感。
おや?と思って顔をあげ、更におや?と思って目だけでチラと横を確認する。

窓越しに見えるのは極めてゆっくりと、けれど確実に後方へと流れていく景色。

う、動いてる、車!

パニックになる私はどうやったら車を止めることが出来るのかを知らない。

のろのろと動き続ける車。
前方に迫り来るフェンスは先ほどまで頑丈そうであったくせに、今はなんとも頼りない。

どうしようどうしようどうしたらいい??
このままじゃ落ちる!
落ちてしまう!!

…という夢を幼い子供の頃よく見ていて、それはやがて、現実に車に載っているときに浮かぶ妄想へと変わった。
背筋がすっと冷たくなる。
大人になった今、勝手に車が動き出す状況じゃないとわかっていても、ふとこの妄想に取り付かれることがある。
あり得ないとわかっていても繰り広げられてしまうから厄介なのだ。

うぅん…。万が一そんな状況になったらどうしようかなぁ、どうやったら止められるかなぁ、ブレーキ、ブレーキってどっち?あ、サイドブレーキ??
いやぁ無理だわ、対応出来る気がしないわ。

と、もにょもにょ考えながら眺める葉書には、
「運転免許証の更新のお知らせ」
宛名は私。

ゴールドに輝く私のそれは、ずいぶんと前から大変便利な身分証へとなりかわっている。

絶対装備

なにがそんなに気に入らないのか。

抱っこする腕の中でのけ反って手足を激しくばたつかせながら、この世の終わりとばかりに泣きわめく我がこ。
どうなだめてもおさまらない、これが黄昏泣きってやつ??
あー、そういえば薄暗くなってきたじゃないの。
洗濯物取り込んで、雨戸閉めなきゃ。
いや、その前に明かりを…、電気つけたい、電気電気…、うお!ちょっと待ってー、危ないから動かないでー!!

……。

そんな風に暴れたら、落っこちて怪我してしまうかもしれないのに。
いつまでもグズっていたら、もう知らないとそっぽを向かれてしまうかもしれないのに。
おとなしくしていたほうが上手に育ててもらえるかもしれないのに。
そうしない、我がこ。

このこは知っているのだな、自分は何があっても守られるべき存在であるということを、そしてその通りになるということを、それが覆らないということを。
わたしはこのこを守るし、このこはわたしに守られる。
築き上げなくとも備わっている、本能レベルの揺るぎない信頼関係だ。

それのなんと愛おしいことだろう。

そう思いながら、グズり暴れ続けるわが子を布団にねかせ、「じゃあオモチャで遊ぶー?」とその姿を除き込めば、小さな足を振り上げてわたしの顔面を目一杯蹴りつけながら、「ぅだっはー」と声をあげて笑っていらっしゃる。
いつのまにやら上機嫌。

…う、うい奴め…!

遊び心の範疇で

B型の人が好き。
などというと、血液型と性格関係ないし!と憤慨する人がいて、そういう人は血液型と性格を結びつけた事柄でなにかしら嫌な思いをした経験があるのかも知れないし、根拠のない憶測が許せない人なのかもしれないし、あんまり乱暴なことは言うべきではないなとは思うんだけど、B型の人が好き。

一月ほど前。
自分の父の血液型が聞かされていたものとは違うかも知れないということが判明してちょっとした衝撃を受けた。
母がメンデルの法則を正しく理解せずに父の血液型をいい加減に予測していた模様。
今更すぎてびっくりだわ。

そんな母は紛うことなきA型。

分かつ世界

近視、近視。
裸眼で読書を試みるなら、眼前5㎝に本を近付けなければならないほどの。

もう10年以上、コンタクトレンズと眼鏡を併用していたのだけれど、ここ数ヵ月は眼鏡ばかりで過ごしていた。
お風呂にすら持ち込んで(すぐに雲って使い物にならないけど)うっかり眼鏡をかけたままで床についてしまうなど、すっかり眼鏡生活に馴染んで、眼鏡越しこそが私の世界になっていたのだけれど、わけあって数日前に久々にコンタクトレンズを装着した。

そしたら。

こ、この世のすべてが何だか大きい。
見るもの見るもの全てが、眼鏡越しよりも2割増しで大きい。
ハッキリ見えるとかそういうことではなくて、明らかに大きく見える。
前日まで小さかった我が子が何だかパンパン。
急に成長してしまったかのように。
これは…。

コンタクトレンズ越しが大きく見えるのか、もしくは眼鏡越しが小さく見えるのか。
はたまたその両方か。
見えない裸眼との比較では確かめようもなく。

少しずつ実際のそれとは異なる世界で、どうやらわたしは生きている。